代表挨拶

代表理事 品田 穣

便利化を目指した産業革命に沸いた19世紀末、100年後の世界を夢見て描いた一冊の本がある。『「彼らが夢見た2000年」アンドリュー・ワット著 新潮社』によると、理想の世界を夢見て描いたはずなのに、男と女の力が逆転した以外は、ほとんど実現されていない。今の科学の力なら実現しようとすれば出来たはずなのに、夢の愚かさを悟ったのか、なぜか実現の意欲そのものを捨て去ったかのようなのだ。

19世紀末、効率化を目指して、便利で効率の良い機械器具、いわゆるハウスホールドガジェットが開発された。例えば、台所用品として、野菜の千切り器、ジャガイモの皮むき器、リンゴは皮をむいて八つ割にして芯までとってしまうなど各種切り刻み器が発明された。こうして、二十世紀はじめ、イギリスの家の中は、足の踏み場もないほどハウスホールドガジェットで溢れていたという。

ところが、産業革命から100年以上たった今のイギリスでは、便利器具に換わって手間暇かけた手作りや伝統など人間らしいくらしが志向されている。

高度成長を果した日本でも、最近、手づくり、自然回帰、ふるさと志向、レトロや伝統、スローライフにスローフード、エコツーリズムなどが社会現象となっている。

100年前に人々が考えた未来の夢と、今、私たちが考える未来の夢を重ね合わせてみると、200年にわたって変わらないものがあることに気がつく。

100年前に一度は夢見たはずの便利な世の中なのに、どんなに便利になり効率化しても、生き物としての人間は自然から離れることは出来ようがないことに気づき、あらためて、私たちが過去も現在もそして未来に求めているのは、機械のように効率的で便利な世界ではなく、「自然と一体化した、人間らしい暮らし」であるということである。

さて、19世紀末から100年経って「自然と人間らしさ」が失われたことが明らかになるにつれて、今、100年に一度と言われる、この危機の時代、私たちは、100年後の未来から具体的に何を求められているのだろうか。

経済危機・エネルギー危機、食糧危機と、いずれも、これまでのような右肩上がりは期待できそうにない。石油はすでに右肩下がりに枯渇に向かい、鉱物資源の多くも究極可採埋蔵量はわずかしかない、農地も増えていないのが現状である。

先の展望が開けない現在、これまでのようなくらしをいつまでも続けられるか、 三大危機に直面しているこの機会に、立ち止まって、くらしの原点にもどって、あらためて、未来のくらしを予感・創造することが求められている。

そのために、今、具体的に何をすべきか。

第一に、予感の舞台としての環境が欠かせない、われわれが文明化の道を突き進んできた一歩前の時代、まだ、練馬にもみどりの自然が豊かにあって、カブトムシやメダカとたわむれた自然、そんな自然を彷彿とさせる原風景のなかからでなくては、未来の道筋は見えてこないに違いない。

第二に、かつての「結」や「講」のような、お互いが助け合う社会の仕組みを、人と人のつながりが希薄になった現代の社会の中で、もう一度見直すことが必要である。

私たち練馬みどりの機構は、そんな自然や、お互いに助け合ってきた社会の仕組みを、危機の今だからこそ、未来の子供たちのために伝えたいと思っている。

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